インタビュー

小さな小窓から外の露天に出られる



ー 大分に来るまでの簡単な生い立ちを教えてください。

日本で一番深い湖「田沢湖」がある秋田の町で生まれました。1970年代に日本中でコロニー計画っていうのが始まって、心身障がい者達を一か所に集めて、山の中に町を作って、その中で管理しようっていう考え方が広まったんです。今でこそノーマライゼーションって考え方が普及してるけど、あの当時、全国で二十数か所コロニーって場所が出来て、両親が二人ともそのコロニーで福祉の仕事をしていました。その影響で僕はずっと山の中の施設で育ちました。別府でいうAPUみたいな場所に障がい者の方と職員とが一緒に暮らす町があるイメージです。
高校卒業までそこにいたんだけど、志望の大学に落ちてしまって。親の勧めもあって4年で看護師になって、東京の上祖師谷の病院で働き始めました。そこで先輩の看護師と23歳の時に結婚して、その後嫁さんの親の介護の関係で山形に二人で引っ越しました。農業を手伝いながら、山形の病院で働いていて、その時は僕の人生はこのまま終わりかなーって漠然と考えてましたね。
2002年のワールドカップの年に嫁さんと上海に旅行に行ったんですけど、日本に帰る日に「日本に帰ったら離婚して欲しい」って言われまして(笑)

ー 何だかお話の展開が目まぐるしいですね(笑)離婚は唐突にですか?

いきなりでしたね。日本に帰ったら裁判スタートです(笑)
最終的には離婚に同意はしたんですけど、理由は未だに分からないです。

ー えー!そうなんですか!?

夫婦仲が悪かったとかなら納得も出来るんですけど、そういうわけでもなかったので。その後も山形にいたんですけど、居場所がなかったですね。それが28歳の時。もうこの街にはいられないと思って、東京で知り合った女性で失敗したから、今度は大阪に行こうと思って、夜行バスに乗って大阪に出ました。


さわやかハートピア明礬の森の岩風呂



ー 発想が独特ですね(笑)

働ける病院を探してしばらくは仕事してましたが、なんでこんなことになったんだろうとまた漠然と考えはじめて。
やっぱり何か自分に足りないものがあるんだろうと思って、「手に職をつけよう」って訳の分からない結論に至ってしまい。


湯と光



ー すでに手に職、ついてますよね?加藤先生、やっぱりちょっと普通じゃないですよね(笑)

(笑)食うに困らないだけの職は手についてるんですけど、カメラを買って写真を撮ったりとか、プロボウラーになろうとボウリングをやってみたり、色々やったんですけど、どれも中途半端になってしまって。看護師をやりながらだったので今考えたら当たり前なんですけど。人生の中でやり忘れていることをやろうと決心して、看護学校には行ったけれど、大学には行けてないから大学に行こうと思ったんです。それが30歳の時。

ー 30歳でその決心をしたって凄いことだと思います。

男の一人暮らしでお金があるわけもないので、国公立受験になるんですけど、やっぱり30歳からの勉強はなかなか頭が追いついていかなくて。奈良県立大学に受かるまでに2浪しましたね。
地域創造学部に入って勉強している時に、奈良で「大淀町立大淀病院事件」というのが起こって、どうして奈良でそんなことが起こったのかを地域創造って観点から考えてみたいなと思って、医療崩壊の研究を始めました。

ー (事件の内容を聞いて)そんな事件があったんですね…

これは偶然なんですけど、1、2年の時に教わっていた教授が学長選に負けて、他の大学に移ってしまったせいで、自分を指導してくれる先生がいなくなってしまったんです。割と珍しい研究をしていたので、「医療経済学会」という所に「どうしたらいいですか?」とメールしたら、奈良県立医科大学に今村という先生がいるから、その先生を訪ねてみてはどうか?と言われて。


小さな湯の花が浮かぶ



ー なるほど。

その次の週に今村先生にメールをしたら、実際に会うことになって「面白い研究してるね」と言われて。「明日からうちに来い」と。研究の指導だけは今村先生がやってくれることになったんです。そんなこんなで研究の基礎を教えてもらうことになりました。

お風呂に入る時もメガネを外さないという加藤先生



ー どんどんドラマみたいな話になっていきますね。

そんな時に今村先生が来週からノルウェーだか、スウェーデンだかに行くって言い始めて。突然どうしたのかと思ったら、「うちの義理の兄貴がノーベル賞を取ったんだよね」って(笑)

露天風呂のすぐそばを流れる川



ー ノ、ノーベル賞を取った?え?それって有名な方ですよね?

うん。山中伸弥さん。

露天の湯けむりに癒される



ー えー!それはつまり、奥さん側の弟さんってことですかね?

そうですね。僕も知らなかったからビックリ。
今村先生がやってた食品テロの後追い調査(
アクリフーズ農薬混入事件)がちょうど海外に行く時期と被っていて、「悪いけど、食品テロ対策班の会議に代理で出て来て欲しい」と言われて。何も分かってない状態でこんな感じで(金髪)会議に出てたんですけど、厚生省の役人さんとか、農水省の役人さんとか大勢いる中で、「僕が犯人だったらこうやります」みたいな話をして(笑)
そしたら、「まだ盲点があったのか」みたいな話になって、先生が日本に帰って来た後も「あの、犯人の気持ちが分かる奴呼んで」って言われたらしくて(笑)ちょくちょく会議に参加するようになって。そこで修士課程に入ればって言われて、奈良県立大学から奈良県立医科大学に一本釣りされて入ることになりました。

ー もう完全にドラマですね(笑)

そこからはもう研究研究の日々。一番面白かったのは
上小阿仁村の研究ですね。6年間に7人の医師が就任後間もなくして退職するっていう伝説の村があって、実際に何故か?を調べに行ったんですよね。報告書も出してるし、実際に研究代表者としてwikipediaに名前も出てます。お医者さん達にいじめがあったのかどうかを調査したりね。

加藤先生が別府で1番好きな温泉



ー この事件もまた不思議な事件ですね。

その後に温泉の研究をしたり。

ー 急に別府に近づいてきましたね(笑)

秋田に玉川温泉っていう、ガンが治る奇跡の温泉っていうのがあって。その地域で医療崩壊が起こってしまったんですけど、その原因や影響を調査して論文を出したりもしましたね。
その後、2014年頃にオリンピックの食品テロ対策を取らなきゃいけないからってことで「あの金髪も呼んでくれ」って言われて(笑)学生をやりながら色々と協力してましたね。
食品テロをやっていくと、食中毒とか毒とかも知らなきゃいけなくなって。食品衛生ってところも勉強していました。それでこれから就職しなきゃって時に東京や名古屋、岩手と色々と応募したんだけど、最終まで残って落ちるを繰り返して。そんな時に2018年にたまたま別府大学が公募を出してたのを見つけて、履歴書を送ったら採用になりました。それが今から2年前、44歳の時ですね。




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