

インタビュー

神戸出身の彩乃ちゃん
ー まずは別府に来るまでの簡単な生い立ちを教えてください。
彩乃:中学までは勉強して、部活でバスケットして、どこにでもいる普通の学生だったと思います。人と比べて落ち込んだり、自分の強みもよく分からず、自信がなかったですね。高校は英語科に行ったんですが、高校2年生の時にカナダに1年留学したんですけど、その頃から「人と比べる」ということをしなくなって徐々に変わっていきました。留学先では日本人が私1人しかいなかったのでそれも大きかったですね。その経験があって、自分が思ったことは言うようになったりとか、人と比べることをしなくなったので「私は私の人生を生きる」って胸を張れるようになりました。
ー 高校生でそこまで思えるのは凄いね。元々の気質もそうだったんじゃない?芯の強さとか負けず嫌いみたいな部分があったり。
そうですね。気は強い方かもしれません。そういう意味では日本人ぽくはないかもしれないですね。最初は海外の大学に行こうかと思ってましたし。

海門寺温泉近くのトキハにて
ー そこからどうしてAPUに入学することに?
私の先輩がAPUに行ってて、色々話を聞いていたのもあって、親とオープンキャンパスに行ったんです。そしたら親の方がAPUを気に入って「あんた、ここ行き」みたいな(笑)留学の経験も活かせるからというのもあってAPUに決めました。最初は「大分県ってどこだっけ?」くらいの感じでしたね。
ー なるほど。彩乃ちゃんは大学生活をコロナ禍で過ごした年代だと思うんだけど、今年でAPUを卒業ということなので、せっかくなので年度ごとに思い出を振り返ってみてもらってもいいかな。
分かりました。やってみます。多分1年の時の話がほとんどになっちゃいますが(笑)

別府の思い出にとモデルに応募してくれた
2020年(1年生)
大分が九州だってこともよく分かっていないくらいだったので、地元の同級生からは「島流し」くらいの感覚で見られてました(笑)入学時期はちょうどコロナが流行りだした頃でした。(第1例目の感染者が報告されたのが2019年12月)入学式も結局出来ずで、大分にきたのも6月でしたね。APUに入学した理由の1つに外国人と交流出来るっていうのがあったので、リモートリモートでリアルな会話が出来なかったので、そこは結構辛かったですね。
大分に来るまではライターのバイトもしていたので、それを活かせることを何かやりたくてインスタのストーリーとかにライターをやっていることを書いてました。それをたまたま見たAPUの先輩から「ライターやりませんか?」と誘われて、その集団とオンラインで話すことになったんですが、そこで凄い衝撃を受けて。APUの大学生ってこんなに優秀でアーティストコレクティブなことをやっている人達がいるんだってビックリしました。話の筋道もしっかりしてるし、言葉の使い方も大人だし、それぞれが個性と特技を持っていて、とにかく全員が芯を持っているって感じでした。

ガレージのおじちゃんに許可をもらって撮影
神父さんも仲がいいと言ってた平末健斗さんもメンバーの「youth」という集団で、その人達と出逢ったのはとても大きかったですね。APUから支援金をもらって、学生だけでWEBドラマを作ろうっていう話があって、そのお店紹介やインスタのキャプションなどを担当して欲しいと言われて私も参加することになりました。最初の1年は大学生というより、ドラマ作りをしてた感じですね(笑)授業もほとんどオンラインでしたし。
ひたすらGoogle mapを見て、バスに乗って別府を歩いて、飲食店や温泉に行くってことをやってましたね。大分に来るまでは駅やバス停に行けばすぐに電車やバスに乗れましたが、大分だとちゃんと時間を調べて行かなきゃいけないので、それはカルチャーショックでしたね。あと別府に来るまでは飲食店の方と仲良くなるなんて経験はほとんどなかったんですけど、お店の方も皆さんとても気さくで優しくて、それは別府ならではだと思いました。ドラマの内容もデジタル化した世の中で学生も疲れるよね、みたいな内容だったので自分にもリンクした部分が沢山あったので、ドラマ制作を通して別府をより好きになっていった感じですね。

海門寺公園から見える別府タワー
少し矛盾しますが、大学生じゃ出来ない経験を沢山させてもらったし、でも大学生だからこそリスクを考えずに出来たので、この1年は私にとってとても大きな経験でした。「youth」の活動は最初から1年限定と決まっていたので、ドラマの最後にリアルなイベントを別府のバー「the HELL」でやって、それを撮影して終了しました。今もYouTubeに映像がアップされているので是非見てみてください。
(全17話 Webドラマ「to BE」はこちらから)
正直1年生の時が濃すぎて、この先の大学生活で感動することなんてないと思うくらいでした。1年で起承転結しちゃいましたね(笑)

別府北浜にて
2021年(2年生)
で、やっぱりそうなっちゃったんですよね。満足しちゃったんですよね。それでも「youth」のメンバーの原点が「AUA」っていう団体だって知って、そこに入ったんですよね。でも、その団体もコロナでストップしてる状態で。直接会ったり、リアルなイベントがなかなか出来ない状況が続いて。2年生はスランプというか、普通の大学生活を送ってましたね。コロナの時期と被った大学生活を「普通」っていうのもおかしな話だとは思うんですが、渦中にいたらそれが普通になりますよね。目上の方は「かわいそう」と言いますが、結構そこは冷めているというか、冷静かもしれないです。
その後、AUAの副代表になったんですが、代表の方と馬が合わなくて(笑)でも、そこで人との関わり方とか、言葉の使い方とか、そういうのを学ばせてもらいました。あの頃は「伝え方が9割」みたいな本をずーっと読んでました(笑)どうしても、直球で言っちゃうんですよ。2年生は自分を丸くしていく期間だったと思います。アバウトになるのは決して悪いことだけじゃないっていうのも、別府に来てから思うようになったことですね。

海門寺温泉の裏手には古き良き別府
2022年(3年生)
3年生になってからは別府に来てからやってた結婚式場のバイトを再開させた時期で、そこでも人間関係を色々と学ばせてもらいました。基本、別府の方は優しくてゆったりしてる方が多いので、私と真逆なんですよね(笑)関西弁だから余計にキツく思われたり。
でも、自分では絶対に出来ないと思っていた計算や進行管理を任せてもらったり、少しずつ職場の方に認めてもらえたり、成長する機会を頂けてると思います。3年生はずっとバイトしてた気がしますね。このバイトは別府を離れるまでやり遂げたいなと思っています。

海門寺温泉裏手にて
2023年(4年生)
就職する気が全然なくて(笑)キャビンアテンダントになりたいって夢はあったんですが、外資系CAは身長基準が足りなくて。でも「就活せな」って感じでフラフラしてた時に、知り合いからミス・アースの大分大会に出てみない?って言われたんですよね。
色々挑戦してみたかったんで参加してみたんですけど、レベルが凄い高い方が何人かいて。それでもうマインドを変えて1番ビフォーアフターが凄いやつになってやる!と思って2か月自分を必死で追い込んだんですよね。そしたら、その2か月で姿勢が良くなったのか、身長が伸びてCAの基準を満たすことが出来たんですよ(笑)
今までは身長が足りないから諦めてたんですけど、親に「身長がクリアしたから一般企業への就職活動を辞めてCA目指す!」と言い切りました。親もびっくりしていましたが、試験にも合格したので来年から1年間訓練生として飛行機全般の事を猛勉強します。実質もう一年学生をやるようなものですね。(笑)
APUでの4年間を含めたこの22年間で共通して思うのは、本当に人との出逢いに恵まれているな、ということですね。小学生からの友人もそうですし、APUで出逢った人、「youth」のメンバー。そして、何よりこの街の人達に成長させてもらったことは数えきれないですし、別府の人達には感謝してもしきれません。