BEPPU ONSEN ROUTE 88

No.42

加藤礼識

さわやかハートピア明礬 湯の森で味わう2種の源泉

加藤さんは別府大学で食物栄養科学を教える教授。卒業式に金髪に赤いスーツで参加し、生徒よりも目立つGTK(グレートティーチャーカトウ)。ドラマになりそうな人生の終着点は果たして別府なのか?思う存分語ってもらいました。


Writer & Photographer : 東京神父

温泉でもメガネは外さないスタイル

まずは大分に来るまでの簡単な生い立ちを教えてください。

加藤:日本で一番深い湖「田沢湖」がある秋田の町で生まれました。1970年代に日本中でコロニー計画っていうのが始まって、心身障がい者達を一か所に集めて、山の中に町を作って、その中で管理しようっていう考え方が広まったんです。今でこそノーマライゼーションって考え方が普及してるけど、あの当時、全国で二十数か所コロニーって場所が出来て、両親が二人ともそのコロニーで福祉の仕事をしていました。その影響で僕はずっと山の中の施設で育ちました。別府でいうAPUみたいな場所に障がい者の方と職員とが一緒に暮らす町があるイメージです。

高校卒業までそこにいたんだけど、志望の大学に落ちてしまって。親の勧めもあって4年で看護師になって、東京の上祖師谷の病院で働き始めました。そこで先輩の看護師と23歳の時に結婚して、その後嫁さんの親の介護の関係で山形に二人で引っ越しました。農業を手伝いながら、山形の病院で働いていて、その時は僕の人生はこのまま終わりかなーって漠然と考えてましたね。

2002年のワールドカップの年に嫁さんと上海に旅行に行ったんですけど、日本に帰る日に「日本に帰ったら離婚して欲しい」って言われまして(笑)

何だかお話の展開が目まぐるしいですね(笑)離婚は唐突にですか?

加藤:いきなりでしたね。日本に帰ったら裁判スタートです(笑)最終的には離婚に同意はしたんですけど、理由は未だに分からないです。

え!そうなんですか!?

加藤:夫婦仲が悪かったとかなら納得も出来るんですけど、そういうわけでもなかったので。その後も山形にいたんですけど、居場所がなかったですね。それが28歳の時。もうこの街にはいられないと思って、東京で知り合った女性で失敗したから、今度は大阪に行こうと思って、夜行バスに乗って大阪に出ました。


湯の花が浮かぶ明礬地区の温泉

発想が独特ですね(笑)

加藤:働ける病院を探してしばらくは仕事してましたが、なんでこんなことになったんだろうとまた漠然と考えはじめて。やっぱり何か自分に足りないものがあるんだろうと思って、「手に職をつけよう」って訳の分からない結論に至ってしまい。

すでに手に職、ついてますよね?加藤先生、やっぱりちょっと普通じゃないですよね(笑)

加藤:(笑)食うに困らないだけの職は手についてるんですけど、カメラを買って写真を撮ったりとか、プロボウラーになろうとボウリングをやってみたり、色々やったんですけど、どれも中途半端になってしまって。看護師をやりながらだったので今考えたら当たり前なんですけど。人生の中でやり忘れていることをやろうと決心して、看護学校には行ったけれど、大学には行けてないから大学に行こうと思ったんです。それが30歳の時。


温泉すぐ裏に流れる小川

30歳でその決心をしたって凄いですね。

加藤:男の一人暮らしでお金があるわけもないので、国公立受験になるんですけど、やっぱり30歳からの勉強はなかなか頭が追いついていかなくて。奈良県立大学に受かるまでに2浪しましたね。地域創造学部に入って勉強している時に、奈良で「大淀町立大淀病院事件」というのが起こって、どうして奈良でそんなことが起こったのかを地域創造って観点から考えてみたいなと思って、医療崩壊の研究を始めました。

(事件の内容を聞いて)
そんな事件があったんですね…

加藤:これは偶然なんですけど、1、2年の時に教わっていた教授が学長選に負けて、他の大学に移ってしまったせいで、自分を指導してくれる先生がいなくなってしまったんです。割と珍しい研究をしていたので「医療経済学会」という所に「どうしたらいいですか?」とメールしたら、奈良県立医科大学に今村という先生がいるから、その先生を訪ねてみてはどうか?と言われて。

「うちの義理の兄貴がノーベル賞を取ったんだよね」って(笑)




なるほど。訪ねてみてどうでしたか?

加藤:その次の週に今村先生にメールをして、実際に会うことになって「面白い研究してるね」と言われて。「明日からうちに来い」と。研究の指導だけは今村先生がやってくれることになったんです。そんなこんなで研究の基礎を教えてもらうことになりました。

ドラマみたいな話になってきましたね。

加藤:そんな時に今村先生が来週からノルウェーだか、スウェーデンだかに行くって言い始めて。突然どうしたのかと思ったら、「うちの義理の兄貴がノーベル賞を取ったんだよね」って(笑)


見た目とは裏腹にとても気さくな加藤先生

ノ、ノーベル?え?それってあのノーベル賞ですよね?有名な方ですか?

加藤:うん。山中伸弥さん

「あの、犯人の気持ちが分かる奴呼んで」って言われたらしくて(笑)




すごい。それはつまり、奥さん側の弟さんってことですかね?

加藤:そうですね。僕も知らなかったからビックリ。今村先生がやってた食品テロの後追い調査「アクリフーズ農薬混入事件」がちょうど海外に行く時期と被っていて「悪いけど、食品テロ対策班の会議に代理で出て来て欲しい」と言われて。何も分かってない状態でこんな感じで(金髪)会議に出てたんですけど、厚生省の役人さんとか、農水省の役人さんとか大勢いる中で、「僕が犯人だったらこうやります」みたいな話をして(笑)

「まだ盲点があったのか」みたいな話になって、先生が日本に帰って来た後も「あの、犯人の気持ちが分かる奴呼んで」って言われたらしくて(笑)ちょくちょく会議に参加するようになって。そこで修士課程に入ればって言われて、奈良県立大学から奈良県立医科大学に一本釣りされて入ることになりました。

もう完全にドラマですね(笑)

加藤:そこからはもう研究研究の日々。一番面白かったのは「上小阿仁村医師退職問題」の研究ですね。6年間に7人の医師が就任後間もなくして退職するっていう伝説の村があって、実際に何故か?を調べに行ったんですよ。報告書も出してるし、実際に研究代表者としてwikipediaに名前も出てます。お医者さん達にいじめがあったのかどうか調査したりね。


「Boar hunter」Tシャツ

この事件もまた不思議な事件ですね。

加藤:その後に温泉の研究をしたり。

急に別府に近づきましたね(笑)

加藤:秋田に玉川温泉っていう、ガンが治る奇跡の温泉っていうのがあって。その地域で医療崩壊が起こってしまったんですけど、その原因や影響を調査して論文を出したりもしましたね。

その後、2014年頃にオリンピックの食品テロ対策を取らなきゃいけないからってことで「あの金髪も呼んでくれ」って言われて(笑)学生をやりながら色々と協力してましたね。食品テロをやっていくと、食中毒とか毒とかも知らなきゃいけなくなって。食品衛生ってところも勉強していました。

それでこれから就職しなきゃって時に東京や名古屋、岩手と色々と応募したんだけど、最終まで残って落ちるを繰り返して。そんな時に2018年にたまたま別府大学が公募を出してたのを見つけて、履歴書を送ったら採用になりました。それが今から2年前、44歳の時ですね。

実は別府は街の中に猪も鹿もいるんです。




それで別府に来ることになるんですね。別府大学では何を教えているんでしょうか?

加藤:食物栄養科学部というところで教えてます。今は学生と一緒にジビエ研究にも力を入れてます。食品関係の毒って手付かずの領域があって。それはジビエからの食中毒。日本の肉っていうのは屠畜場で屠殺されて解体されて、綺麗な状態で販売されているから、とてもいい状態を保っているんですけど、その辺で捕まえてその辺で解体するとやっぱり食中毒のリスクが高まるんですよ。そういう研究を誰もやっていなかったから、やりたいなと思っていて。

2014年から奈良の猟友会に行って、肉をもらおうとしたんだけど、なかなかハードルが高くて。それでも言い続けてたら、「自分で山に行って捕れ」って言われまして。そこから狩猟免許取って、鉄砲の所持許可を持って「山に連れて行ってください」って話をしたんですよ。ようやくそこまでして認めてくれた感じでしたね。そこから色々教えてもらって、ジビエについて学んでいった感じです。実は別府は街の中に猪も鹿もいるんです。


狩猟免許も持っている

山の中にいるのは分かりますが、街にも?

加藤:別府大学のサークルハウスでも猪出ますしね。大学の敷地の中にも罠かけたりしてます(笑)

僕、別府大学中退なんですが、それは初めて知りました。

加藤:実は大分県は捕獲頭数全国第2位なんですよ。もちろん1位は圧倒的に北海道。夜に車で走るとちょっと上の方に行けば、普通に出くわしますし。農家さん達は色々被害を被ってますよね。でも、今は若い猟師がいないから、機動力がない。僕がいる別府の第5班も平均年齢75歳とかですし。

そんな時、学生達にジビエの話や猟師がいないって話をしたら、狩猟免許取りたいって言いだす女子がいたり、実際に狩りや解体をやりたいって学生が多かったので、じゃあ別府大学に「狩猟サークル」と「ジビエ料理研究会」を作ろうという話になりました。

自分達が捕まえるところから、料理を作って出すところまで、やってみようって話になって、2019年の7月に「狩猟サークル」が誕生したんですよ。今は別府大学に猟師が28人いますよ(笑)ほとんど罠免許だけど、3人は鉄砲の免許も持ってます。

これだけ「罠ガール」がいるサークルは全国的にも珍しいです




めちゃくちゃ面白いですね。

加藤:全員素人の狩猟サークルだけど、これだけ「罠ガール」がいるサークルは全国的にも珍しいです。たまたま大学のそばにジビエの解体施設を持っている方がいて、そこで自分達で捌いて、実際に調理したりもしてる感じですね。


別府市営湯山クレー射撃場にて

罠ガール!いい響きですね。美人局とかじゃなく、本当の意味で罠をかけてるわけですね。

加藤:悪さをしている猪や鹿を捕まえて、捌いて、料理して食べるっていう一連の食物連鎖を体験出来るっていうのはなかなか出来る体験じゃないですよね。学生達は好奇心旺盛なのか、頭がおかしいのか(褒めてます)、ジビエだけでは飽き足らず、今度はふぐ免許も取り始めたりして。

規制されているものを取っ払って自分達で好きにやりたいって思い始めたんでしょうね。許可や免許があれば規制の向こう側に誰でもいけるわけだから。自分達で経験すること、僕らの場合は「捕って食べる」ということがやっぱり大事ですね。


生の射撃は大迫力

経験に勝るものはないですよね。別府にも少なからずジビエ文化があるってことが驚きでした。ここからは別府のことについてもお聞きしたいと思います。先生は実際に別府に住んでみてどうですか?

加藤:色んな所に住んだんですけど、やっぱり田舎ってコミュニティーが内向きだから住みにくいんですよね。でも、別府はそれがないから不思議だなと思います。何かよく分からないけどオールOKみたいな雰囲気。世話焼きでほんとにオープン。洗練されてるって意味じゃないんですけど、田舎っぽくない。とても面白い街だし、住みやすいと思いますね。あとは良くも悪くも濃い人間が多い(笑)

激しく同意します(笑)

加藤:上小阿仁村の研究をした時も思ったんですけど、村のルールがあるんですよ。独特な小さなコミュニティーのルールっていうのが田舎はどこもあるんですけど、別府はざっくりしすぎてて、グローバルなルールしかない。ここからははみ出さないでね、くらいの線引きしかない。もちろん別府にもそれぞれのルールはあるんでしょうけど、それを感じさせない。金髪の大学教授がこんなに自由に生きられる田舎はそうそうないと思いますよ(笑)

変化を恐れるとマンネリして感覚が鈍感になっていくので、そのことをまずは恐れないといけないと思いますね




僕の母校でもあるのでこの機会にお伺いしたいのですが、別府大学はそういう意味ではどうですか?ルールとか、しがらみとか。

加藤:また答えづらい質問ですね(笑)古い考えと新しい考えが混在しているので「これからの大学はどうあるべきか」ということをもっと柔軟になって考えていくタイミングだとは思いますね。ルールという意味では勿論守らなきゃいけないことも多々ありますが、新しいことはどんどんやるべきだと僕は思いますね。「大学」なんだし。

そう考えてみると「ジビエ」にしても「ふぐ」にしても加藤先生がやっていることは「大学」という意味でも新しいことですよね。

加藤:色んな意見はあると思いますが、やっぱり変化を恐れてしまうと時代からは取り残されてしまいますから。変化を恐れるとマンネリして感覚が鈍感になっていくので、そのことをまずは恐れないといけないと思いますね。APUが出来て、この街がグローバルに成らざるを得なくなってしまったように、別府大学がこの街にもっと良い影響を与えられるように頑張って行きたいと思いますね。

確かにAPUの存在は大きいですね。でも、APUは別府だったから受け入れられた気もするんですよね。元々温泉地で観光地で「旅人をねんごろにせよ」というオープンなDNAを持っている人々が住んでいた土地だったからこそ、あらゆる文化が融合して、今こうして20年経って、さらにカオスな街になっている。別府だから成功した、というか。

加藤:そうかもしれないですね。国際教養大学という大学が秋田の山奥にAPUと同じ頃に出来たんですけど、たしかにコロニー計画になってしまっている部分はあるかもしれません。APUももちろん山奥にはあるんですが、APU生が言う所の下界(街中)にも沢山いるわけでしょ?地元の方と交流する学生が。そして、それを受け入れて、面白がってくれる地元の方がいる。そういう意味で言えば、別府という街の凄さ、受け入れるポテンシャルというのは元々あったものなのかもしれないですね。

僕も別府にはえげつないポテンシャルを感じてます。だからこそ、ここで生まれ育ったことが誇りだし、何かあと一皮剥ければ、本当に日本中、世界中の人達が別府を目指して旅に出るってことが起こり得ると思うんですよね。
これだけ狭い場所にこれだけ色んな文化や人や自然や食や温泉が「ギュッ」って詰まってる街は他にないじゃないですか?街に出て飲みに行くと、みんな「別府」の話をしているんですよ。楽しそうに。それが本当に凄いなと思います。

加藤:別府にもマイナスの面は沢山あるんですが、それすらオールOKに感じさせてしまうのは、やはり住んでる人のオープンさや温泉文化があるからなのかもしれないですね。

そうですね。やはり温泉がある意味は大きいですよね。今回撮影したさわやかハートピア明礬は加藤先生のおすすめですが、ここを選んだ理由は?

加藤:僕は秋田で育っているので、温泉というと山とか川にあって、自然の中で入るっていうイメージがあって。その温泉像に1番近かったのがハートピア明礬だったんです。温泉名人になる時に色々な温泉を巡ったんですけど、別府って小判形の公衆浴場やいわゆるスーパー銭湯、旅館の立ち寄り湯が多いので、ハートピア明礬みたいな雰囲気の温泉は少ないんです。個人的には凄く合ったし、初めて入った時は感動しましたね。

僕も撮影で初めて来ましたが、ほんといい雰囲気ですよね。あの小窓しかり。

加藤:ちょっと雰囲気が老人ホームっぽいから、ここにこんな温泉があるなんて思いもしないんですよね。そのうち本当に老人ホームになるんじゃないですかね?(笑)往々にして別府はそういう所が沢山あります。

地元の人も行ったことがない方が多いと思うので、一度行ってみて欲しいです。接客の良さにもびっくりしました。他にオススメの温泉はありますか?

加藤:湯都ピア浜脇にはよく行きますね。別府は色んな種類と雰囲気の温泉があるので、それを気分で選べるのがまたいいですよね。ただ、公衆浴場はあまり行かないですね。理由は熱いから(笑)

(笑)僕は公衆浴場にもよく行きますが、熱いのは同感です。場所によっては熱すぎて入れない温泉もありますから。今日はありがとうございます。最後にこれから別府に来る人へメッセージをお願いします。

加藤:今の時代を生きる人は、一度昔話に出てくるお婆さんの気持ちになって「心の洗濯」をしに来た方がいいと思います。あとはとりあえず「ヒットパレードクラブ」に行った方がいいと思います。個人的な趣味ではありますが、あんなに楽しいところはないですよ。


小窓をくぐると露天風呂に出る

MODEL PROFILE

名前:加藤礼識(Hirosato Kato)
年齢:46歳
出身:秋田
職業:大学教員


CREDIT

タイトル:変化を恐れる鈍感さを恐れろ
撮影日:2021年3月31日
写真撮影&インタビュー:東京神父

撮影協力:さわやかハートピア明礬、別府市、別府市温泉課、別府大学、海の見える丘のアトリエ別府市営湯山クレー射撃場ヒットパレードクラブ

大淀町立大淀病院事件
アクリフーズ農薬混入事件
上小阿仁村医師退職問題

※温泉や個人の情報は全て撮影当時のものです。

ONSEN INFO

さわやかハートピア明礬

ホテル庭園内の大浴場と貸切風呂、館内の内湯と多彩なお風呂が魅力の宿。別府の中でも緑に包まれた空間はこの場所ならでは。今回は小さな小窓から露天風呂に出られる森の岩風呂で撮影しました。別府の宿の中でも接客はピカイチです。



住所:大分県別府市大字鶴見1190-1


営業時間:13:00〜21:00(最終受付)岩風呂は14:00〜
日曜、祝日10:00〜21:00(最終受付)


入浴料金:500円


泉質:炭酸水素塩泉、硫黄泉


地図:湯巡りマップ


公式HP:なし



BEPPU ONSEN ROUTE 88